予感があった。
日曜、祖母が亡くなった。なんとなく容態が悪いのは聞いてたけどあまりにも早くて、電話で聞いた瞬間拍子抜けした。
よく分かんないまま葬儀の日程を聞かされた。「今日帰れる?」と言われて、急遽帰省の手段を得た。連休と重なって飛行機がなく、大学祭の後すぐ発展途上役満車両こと北海道新幹線で帰った。
帰省と重なったライブのチケットを売った。シラバスの授業評価を確認した。サークルの会議に行けないラインを入れた。
それはそうと、なんでわしの大学忌引制度ないねん、無能か!!!
当たり前だけど地元は寒い。到着時の気温2℃。冬にて候。え、11月ってなんですか?(哲学)
喪服を着たのは3年半ぶりだった。たくさんの親戚と久しぶりに会った。
亡骸を見たら、とてもきれいな顔だった。呼吸してないと思えない。最後に皆で集まったのは祖父が亡くなったときだったな。
高校生ぶりに聖歌を歌ってお祈りした。焼かれる前に花をたむけた。相変わらずきれいな顔、生前に未練がなさそうな顔。
表情変わるはずないか。
木箱に納骨した。焦げたロザリオと人工関節が出てきて驚いた。
滞りなくミサと告別式が進んだ。お母さん、めちゃくちゃ泣いてんじゃん。やめてよもらい泣きするわ。
着替えて馴染みの寿司屋に行った。思い出話に花が咲いた。
大好きな貝の刺身盛り合わせが死ぬほど美味しい。あ、死んだらダメだ。
この日の儀式を終えても実感が湧かなかった。
翌日の納骨式は雪が降りそうなほど冷え込んだ。達筆の祖父が書いた福音が彫られた墓に新しい住人が来たのが嬉しかったのか、どんよりした空が突然明るくなった。
いい感じのホテルでケーキセットを食べて、大急ぎで帰って駅に向かい、新幹線で帰路に着いた。
ずっと実感が湧かないままだった。
そういえば前に祖父が亡くなったとき、"それ"と同じくらいの時間に起きたんだよな。物理的じゃなく、起こされた気がして。突然だったけど、翌朝初めて聞いたとき「やっぱそうなんだ」って。
会いに来てくれたんだ、って思った。
今回私は東京にいたから会いに来なかったけど(道に迷ったのかも)、丸2日寝込むほどタチの悪い風邪は、旅立った次の日にすっかり治った。
邪気を持って行ってくれたのかな。考えすぎか。
借りものゝ命がひとつ 厚かましく使ひ込むで返せ
という一節が大好きなんだけど、祖母はまさにそれを体現した人だと思う。
91歳。よく頑張ったね。
丈夫で病院のお世話になることも少なかった。最期は右の肺の先だけで呼吸してたらしい。
え、そんなことできるの??
この世に生あるもの、いずれ死ぬから怖い。私も死ぬし、あなたも死ぬ。いつか。分かんないけど。
いつ死んでもいいように、あなたのように頑固に生きたいね。
いっぱいいっぱい遊んでくれてありがとう。
認知症になっても、最後に会った今年の夏まで私の名前を覚えててくれてありがとう。
安らかに。