歩み

旅と喫茶と、時々、エイト

【やれやれ】村上春樹の文体で夏休み前半を振り返ってみた

1
夏休みは遠かった。冷凍庫で忘れ去られた鮭の切り身のように、ずんずん奥に追いやられていた(追いやっていた、というべきかもしれない)のだ。好むと好まざるとにかかわらず、課題を出さなければならない。僕はその事実を受け入れるためにドトールに行き、マールボロを片手にアイス・カフェ・オレを注文した。マールボロは紙臭くニコチンが喉を突き刺す感触があるが、コーヒーの相棒としては悪くない。
僕はミニチュア・ダックスフントが見知らぬ土地を徘徊する速度でレポートを書き進めた。今度はピース・アロマ・ロイヤルの煙を吐きながら。思い返すと、喫煙回数は八月上旬がいちばん多かった。やれやれ。僕はツイッターを開き、友人の思想に同意のハートマークを贈った。ツイートの数と生活の質は、美しく反比例する。これは世界の真理といってもいい。

2
僕がサークルのプランニングについて考えているとき、クラスメイトは就職のことを考えていた。手探りでインターン・シップに応募してみると、いくつかは合格し、いくつかは門前払いを食らった(もちろん、後者のほうが数倍多かった)。ライバルは皆博学多才、質実剛健、文武両道で、僕にはない種類の可能性をたくさん秘めていた。将来テリトリーの争奪戦で相対すると考えると、胸が苦しくなった。もう一人の僕が問いかける。
「大学三年生って就職のこと考えながら勉強やるわけ?」「まあそうだろうね」と僕はとっさに言えなかった。認めたくなかったのだ。

3
津波にも似た課題に襲われるなかで、オンライン・ライブは僕の唯一のプラシーボとなった。ジャニーズ事務所に籍を置くアーティスト達は等しく努力と才能の塊だが、ニ〇〇四年にデビューした関西出身の八人組グループ(気づけば五人になってしまった)は僕の生きがいといっても過言ではない。
もし「どれくらい好き?」と聞かれたならば、「冬の陽射しくらい好きだよ」と答えるだろう。セット・リストや衣装、運営に至るまで申し分なく、目の肥えたファンをどこまでも慮る愛に溢れたメンバーなのだから。仮にすべてのブローカ野をフル・スピードで稼働させても、素晴らしさは十分に伝えられまい。
音楽は感情を豊かにする。あいにくクラシックやメタルには疎いが、人から薦められた曲にそれなりの寸評を付けられるくらいの音楽観はある。とはいえ、ロックもポップスもジャズもヒップ・ホップも、よく晴れた日の浅瀬に足を突っ込んだほどの知識しか持ち合わせていない。どんなに慣れ親しんだアーティストでも、好きになれない楽曲もある。結局のところ、音楽とは単なる感覚にすぎないのかもしれない。

4
「11」と印字された日めくりカレンダーを破る頃、短いようで長い春が終わった。夏休みは何をしようが自由だ。パスタを茹でたっていいし、新しく買ったレコードに針を落としてもいい。僕は九月に控えた学芸員実習に備えて、そそくさと函館の実家に帰省した。いずれ発つなら、安いうちに飛行機のチケットを取るのが賢明だ。なにより、コロナ・ウイルスの主戦場である灼熱の東京から一刻も早く脱出したかった。

5
函館はいくぶん涼しく、有能な避暑地である。僕に課せられた試練は、実習期間までに一人前のペーパー・ドライバーを卒業することだった。自宅から博物館までは急勾配の路地が多く、車で三十分ほどかかる。だから自転車や徒歩での通勤は、毛ほども気が進まない。二年前に普通自動車免許を取得してからろくすっぽ運転する機会もなく、いつの間にか運転免許証はレシートの山に埋もれていた。皮肉にも僕の運転免許証の形相は、凶悪事件の首謀者の手配状と何ら変わらない。
法定速度やハンドリングの感覚を取り戻すのは、別れた恋人と再び連絡を取り合うくらいに時間を要する。駐車場で危うく父のカローラを大破しかけたが、傷をつけずに済んだ。

6
六月に自律神経を壊してから、意識的に負荷をかけない生活を心掛けてきた。夏休みをリハビリと呼ぶことも厭わない。先立って睡眠の質の向上に努めたものの、心身ともに満足する睡眠というのはこの世には存在しない。
簡単な朝食を取り、コーヒーを飲み、窓を開けて再び眠りにつく。冬眠から目覚めた日熊のようにのそのそと動き出し、ヴォーカロイドに耳を傾けながらメールを確認する。一日おきに運転の練習をする。まずまずの小説を読み、ブログや書類の文面に頭を捻る。三時になればマリオ・カートがアップ・デートされるから、夕食まではスマート・フォンを掴んで離さない。食後はユーチューブで無作為に動画を視聴し、任意のポップスを口ずさみながらシャワーを浴び、気が済むまでツイッターと文庫本に触れて静かに眠る。最近はそんな日々の繰り返しだ。君は最悪なシナリオだと嘆くかもしれない。あるいは理想的な休暇だと思うかもしれない。実を言うと、マリオ・カートは今年に入ってから一度たりともプレイしなかった日がない(少なくとも、僕の記憶では確かな事実だ)。これまでにどれほどヨッシーやデイジー姫を無賃で働かせ、カートをクラッシュさせたのだろうか?

7
ただ一つ、君に打ち明けておきたいことがある。それはこの物語のクライマックスがいまだに定まらないことだ。僕はここで筆を置いたほうがいいかもしれないし、「下手くそだ」と嘲笑されるべきタイミングかもしれない。でもそんなことは正直どうでもいいんだ。なぜかって?


完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。