歩み

旅と喫茶と、時々、エイト

文房具

ここ最近、めっきり文房具を使わなくなった。


授業期間は辛うじてルーズリーフとシャーペンでメモを取るけど、試験前はいつも家宅捜索から始まるし3割方見つからない。ダメじゃん。PCでの板書にシフトチェンジするか、わりと真剣に悩んでます。

しかもコロナとかいう性悪ハクビシンウイルスのせいでオンライン授業(笑)をやらされてる今となっては、筆を執る機会が減るいっぽう。まともにシャーペンを持ったのは新聞サークルのゲラ校閲が最後です。

ていうかオンラインなのにプリントしたレジュメ紛失してるのなんなん?生活能力が欠落してるから?なるほどね。



一度小学生時代に思いを馳せましょう。当時は文房具が個性アピールの道具。クラス替え後の話の種になりました。
テストで分からない問題は鉛筆の神様に命運を委ね、一心不乱にねりけしを作り、休み時間の定規戦争で先生に怒られる。コンパスで机に穴開けて廊下に立たされてるアホもいましたね。缶ペンとプロフィール帳は流行りすぎて没収された。


女子は可愛いレターセットやキラキラシール集めませんでした?世代がバレバレだけど白黒のたまごっちとオシャレ魔女ラブandベリー命懸けでやっていた時期です。スポーツブランドのテッカテカなペンケース使ってる男子は大体ムシキングやってた。普及したてのプリクラに「仲仔」って書いてた時期もあった。なぜ「仔」なのか。


友人や親戚に手紙を送るときはとっておきの便箋を選んで、カラフルな色ペンを独特な感性で使い分けながら大して面白くもない文章を錬成し、仕上げにSan-xやディズニーキャラクターのシールを貼るのがルーティン。懐かしいですね。
直接伝えればいいのに黒歴史ブラックホールこと交換日記を始めたり。余ったスペースに不気味なイラスト描きがち。



それはそうと、国語の教科書に載ってた「消しゴムころりん」知ってる人いますか?



さて、2020年に戻りましょう。なんなんですか、LINEだのTwitterだの。光の速さのフリック入力で、連日好きなだけお気持ち表明。全ての知り合いに、全世界にメッセージを共有できちゃう時代です。

何気ないツイートが誰かの琴線に触れて一瞬で拡散されて、同調圧力でいとも簡単に炎上しちゃう頭悪い時代なんですよ。


ネット社会は「思いを綴るなら丹精込めて然るべき」って価値観が崩壊した世界。
相手に自分の言葉が届くまでラグがあるから、文面をじっくり考えて、書いては消してを繰り返す。平安時代の贈答歌まで遡らなくとも、少なくとも20世紀では習慣だったはず。

アカウントや権限などの観点を除けば、誰が書いた文章かなんて簡単に特定できないし、筆跡をチェックできるわけじゃない。「匿名=好き勝手言い放題」だと勘違いしてる人が多すぎる。



Twitter社を設立したジャック・ドーシーが「Twitterは僕が思い描いてたのとまったく別のツールになっちゃった。日常の何気ない出来事を切り取って友人間で感情をシェアするのが目的だったのに、どうしようねwww」みたいに呟いて(tweet)るインタビュー記事を見たことがあります。その通りだよね。

あとどっかのコメンテーターは「メディア媒体やSNSコンテンツに芸能人が進出すると破綻する」と言ってました。Twitterで口を滑らせて立場を失ったインフルエンサーどんだけいるんだ?最近芸能人がYouTubeに進出しまくってボロクソ言われてるし。


あんまり関係ないけど最近英語圏では「Google」が「インターネットで検索する」って意味の動詞で根付いてるらしいですね。文化は言葉を変える。


ゆっくり気持ちの整理をしたいときは、平成に帰って紙とペンに向き合うのもアリかもしれない。文明の進歩を非難したいわけじゃないけど、令和はこれからもっと味気なくなるんだろうな。

「そのノート可愛いね!どこで買ったの?」みたいな話で盛り上がった頃が懐かしいです。もう公的な手続きや年賀状を除いて、手紙でやり取りすること一生ないんじゃね?
今は小学生でもスマホ持ってるとか...末恐ろしいな。



そういえば何で小学校はシャーペン禁止なんだろうね?悪ふざけするから?